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札幌地方裁判所 平成9年(わ)475号 判決 1999年3月29日

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成九年二月二〇日午後二時三〇分ころ、札幌市南区川沿二条<番地略>所在の株式会社マルカル北海道藻岩店一階催事場において、丙山秋子所有又は管理にかかる現金二五四九円及びプリペイドカード等四点在中の財布一個(時価合計約七〇〇〇円相当)を窃取し

第二  同年三月一三日午後四時一五分ころ、前記株式会社マイカル北海道藻岩店一階西側中央出入口風除室内において、甲野花子の手提げバック内から同女所有又は管理にかかる現金約二万円及び鍵等三点在中の財布一個(時価合計約五五〇〇円相当)を窃取し

第三  同年四月九日午前九時二〇分ころ、同市同区川沿七条<番地略>付近路上において、乙川晴子から同女所有にかかる現金約一五〇〇円在中の財布一個(時価約五〇〇円相当)を窃取し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(補足説明)

(注) この項においては、年月日を記述する場合、特記する場合以外は「平成九年」であり、そして、その記載を省略し、「平成九年○月○日」を単に「○月○日」と記述することがある。

また、証拠を摘示するにあたっては、公判供述、公判調書中の供述部分、捜査段階の供述調書の記載を区別せず、単に「公判供述」、「証言」、「供述」等と略記することがある。

第一  平成九年四月三〇日付け起訴状記載の公訴事実について、強盗致傷を認定せず窃盗罪を認定した理由

一  公訴事実及び争点の概要等

1 公訴事実

平成九年四月三〇日付け起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、平成九年四月九日午前九時二〇分ころ、札幌市南区川沿七条<番地略>所在のファミール七二前路上において、同所を通行中の乙川春子(当時八五歳)を認めるや、金品を強取しようと企て、同女に対し、その後方から背中を手で押してその場に転倒させる暴行を加えてその反抗を抑圧し、同女所有の現金約一五〇〇円在中の財布一個(時価約五〇〇円相当)を強取し、その際、右暴行により同女に加療約三か月間を要する左大腿骨顆上部骨折の傷害を負わせたものである。」というのである。

2 争点の概要等

(一) 当公判廷において取り調べた証拠によれば、公訴事実記載の日時ころ、札幌市南区川沿七条<番地略>所在の「ファミール七二」というアパートの前の道路を買い物に行くため西から東に向かって歩いていた乙川春子(当時八五歳)が転倒し、加療約三か月間を要する左大腿骨顆上部骨折の傷害を負ったこと、その際、乙川所有の少なくとも現金が一五〇〇円位は入っていた緑色の財布がなくなり、その後被告人は少なくとも右財布在中の現金を取得し自分のものとしたことは明らかである。ところで、検察官は、右は、被告人が、乙川が持っていた財布を奪う意図で、同女の後方から、同女が左足に履いていた下駄のかかとの部分を踏みながら、その背中の左側をいずれかの手あるいは肩で押して同女をその場に転倒させる暴行を加え、転倒した際に同女が路上に落とした財布を拾って奪ったにほかならず、被告人が公訴事実記載の犯行を行ったことは明らかであると主張するのに対し、被告人は、当公判廷において一貫して犯行を否認し、乙川とぶつかってしまったのは確かだが、それは一緒に歩いていた長男の一郎が自分に向かって石を投げつけてきたため、それを避けようとして過ってぶつかってしまったものであり、故意に乙川に暴行を加えて現金在中の財布を奪おうとしたことはないと供述する一方、本件の審理の途中から、黙秘権を行使し、乙川と接触した前後の状況については黙秘権を行使して何ら答弁しないという状況にある。なお、被告人の四月二八日付け検察官調書(乙一七)及び同月二九日付け警察官調書(乙一二)によれば、被告人が、捜査の最終段階である前記日時ころ、乙川から金品を強取しようとしたことはないと犯行を否認し、乙川とぶつかってしまったのは確かだが、一緒に歩いていた一郎が自分に向かって石を投げてきたため、避けようとして過ってぶつかってしまったもので、故意に同人に暴行を加えたものではない、乙川が転倒した際に路上に財布が落ちたところ、一郎がこれを拾って逃げて行ってしまったので、乙川に、「ごめんなさい。ちょっと待ってて下さい。」と声をかけ、一郎を追いかけて財布の中の現金を取り上げたものの頭が混乱してしまって乙川のところに戻らなかったというような弁解をしていたことが認められる。そして、弁護人も、一件記録を総合しても、被告人が強盗を行ったと認めるに足りる証拠はなく、被告人は無罪であると主張している。

(二) 基本的事実関係

まず、以下に指摘する各事実は、関係各証拠上明らかなことであって、これらの点については、検察官及び弁護人においても争うものではない。

(1) 平成九年四月九日午前九時二〇分ころ、仏壇に供える花等を買うため、現金が少なくとも一五〇〇円位は入った財布を所持し、札幌市南区川沿七条<番地略>所在の「ファミール七二」というアパートの前の道路を、「オレンジハウス」という店に向け、東の方向に歩いていた乙川が、その後方から歩いてきた被告人と接触し、乙川が路上に転倒し、その際右財布が路上に落ち、なくなったという事件が発生した(以下、乙川の転倒した場所を「本件現場」という。)。乙川は、本件現場付近に住む身長約一五二センチメートルの女性であり、事件当時、八五歳であったが、腰も曲がらず、足腰に不自由はなく、歩いて買い物などをしており、転倒した際は、着物の上に羽織をかけて、その上に更に前掛けをして、高さ約三センチメートルの下駄を履いて歩いていた。乙川は、仏壇に供える花等を買うため、常日頃から本件現場付近の道路を歩いており、買い物に出る際は、転倒した際に紛失したがま口のついた財布に一五〇〇円から二〇〇〇円程度の現金を入れ、前掛けの右ポケットに入れるなどして持って歩いていた。財布は、その後発見されるに至らなかったため、その正確な形状は明らかでないが、がま口のついた長さ約一五・五センチメートル、高さ約九センチメートルの合成皮革製の財布であり、乙川が、前掛けの右ポケットに入れて持っていた場合でも、その上端がわずかにのぞいて見える。

(2) 乙川は、転倒すると同時に足に激しい痛みを感ずる一方、前掛けのポケットに入れるなどして持っていたはずの財布がないのに気付き、周囲を探したが見つけることができず、転倒した拍子に脱げてしまった下駄を履いて立ち上がろうと下駄に手を寄せるなどしていたが、足の痛みが強く自分の力では立ち上がることができず、道路に尻をぺったりつけるような格好で座っていたところを、「ファミール七二」というアパートの所有者であり、同所に住む一重敏也に発見され、一重におぶわれて自宅に帰った。乙川は、その後も、足の痛みがひどかったため、同日中に、家族に伴われ札幌市内の五輪橋整形外科病院で受診したところ、左大腿骨顆上部が骨折しており全治まで三か月間を要するとの診断を受けた。

(3) 被告人は、フィリピン国籍のタガログ語を母国語とする身長約一四九センチメートルの外国人である。被告人は、一四、五歳のころにマニラ市内の学校を中退後、フィリピン国内で生活していたが、平成元年ころ、就労ビザを取得して四か月ほど日本に滞在し、その後帰国したものの、平成二年二月ころ、再度来日し、埼玉県川口市内のスナックなどで稼働していたところ、現在の夫である丙山太郎と知り合い、同人と結婚した。被告人と太郎との間には、一郎(平成四年一一月生)、二郎(平成六年七月生)、三郎(平成七年七月生)の三人の子がある。被告人は、不法滞在していた関係で、平成六年一一月に強制退去となり、一郎及び二郎の二人の子を連れてフィリピンで生活していたが、平成八年四月に再入国が認められ、以後、札幌市内で家族とともに生活していた。

(4) 被告人は、平成九年四月九日の朝、一旦ゴミを出した後、また布団に入って三人の子と布団に入って休んでいたが、目が覚めると長男の一郎がいなかったことから、自宅近くにある公園に一郎を探しに行くなどし、その後、本件現場に至る道路を一郎と一緒に、西から東に向かって、乙川の後ろから歩いていた際に、本件現場において、乙川と接触し、前に指摘した、乙川が転倒し、所持していた財布がなくなるという事件が発生した。

(5) 被告人は、乙川が転倒した後、転倒したままになっている乙川をその場に残して、東に向かって立ち去り、一郎を伴ってタクシーに乗車し、札幌市南区川沿一条五丁目にあるオヤマダ薬局に行き、液体咳止め薬品であるブロンエース(以下「ブロン液」という。)を購入し、その場で一気に飲み干すと、待たせていた右タクシーで被告人方に戻った。その間、本件現場付近でタクシーに乗るまでの間に、被告人は、少なくとも乙川が所持していた財布在中の現金を取得し自分のものとした。

(三) 本件の特殊性、基本的証拠構造

ところで、検察官は、乙川が供述不能であることを理由に刑事訴訟法三二一条一項二号前段の書面として取り調べられた乙川の検察官調書により、乙川の被った被害の外形的事実が明らかであり、かつ、信用できる上、<1>被告人は、夫から自由になる金を全くもらえず、パチンコ代や気を紛らわすために常用していたブロン液を買う金に不自由して窃盗を繰り返していたもので、金欲しさから乙川の財布を狙うという犯行の動機があった、<2>被告人は、自分が接触して乙川を転倒させた後も乙川を救助せず、少なくとも現場からそれほど離れていないところで乙川の財布の中から現金を手にした後も乙川のところに戻らず、そのままタクシーに乗って薬局に行きブロン液を買って飲み、帰宅後も一切、乙川の身を案じたり、救助したりしていないのは、被告人が故意に乙川を押し倒して財布を奪い、一目散に逃げたと考えて初めて了解可能である、<3>被告人は、捜査段階で、乙川を押し倒して財布を奪おうと思って乙川の背中を後ろから自分の左肩で押したと述べて強盗の故意及び暴行について自白していたのであり、この自白調書には任意性及び信用性がある、<4>被告人の長男一郎が被告人に対し石を投げたためこれをよけようとして過ってぶつかってしまったという被告人の弁解は不自然、不合理で信用できないことなどを指摘し、被告人に強取の故意があったと認められる上、暴行の態様からして、被告人の行為が強盗致傷罪に該当することは明らかで、それは、被告人の犯行を目撃した一郎の警察官調書によっても裏付けられているなどと主張する。これに対し、弁護人は、乙川の検察官調書の信用性を争うとともに、犯行の目撃者とされる一郎の警察官調書は親族の供述拒否権を告げずに録取されたものである上、一郎は当時四歳五か月の幼児であって供述能力が備わっていたと認められないなどとして、証拠から排除するよう求め、更に、捜査段階に作成された被告人の自白調書は満足な通訳もなされない状況下で捜査官が勝手に作ったものだなどとして、当裁判所が任意性があるとして採用した被告人の自白調書についても証拠から排除するよう求めるとともに、その信用性を争っている。

本件の証拠構造上特徴的なことは、<1>乙川が転倒した際に負った傷害により入院中の病院で心筋梗塞の発作を起こし、低酸素脳症に陥るなどした結果、痴呆が進んでしまい、犯罪の成否を決する上で最重要証人となるはずであった乙川から被害の状況についての証言が得られず、これに代わるものとして証拠となっているのは、供述不能を理由に取り調べた乙川の四月二三日付け検察官調書一通だけであること、<2>犯行の目撃者とされる一郎についても、証人尋問を行うことの相当性について議論がなされた末、弁護人が検察官請求の一郎の警察官調書を同意することを条件に検察官が証人申請を取り下げた結果、証人尋問はなされず、弁護人が留保付きで同意した警察官調書が取り調べられているにすぎないこと、<3>被告人の捜査段階での自白調書についても満足な通訳もなく捜査官に勝手に作られたなどとしてその任意性が激しく争われていること、<4>被告人が、無罪を主張しつつ、捜査段階では前に指摘した弁解をしていたことが認められる一方、審理の途中からは黙秘権を行使し、法廷では事件の核心部分については何も供述しなかったことがあげられる。このように、本件では事件の中核となるいずれの証拠に関しても証人尋問が行われず、捜査段階に録取された僅か二通の供述調書しかない上、黙秘権を行使することは被告人の権利であることはいうまでもないが、裁判所は、被告人の弁解についてすら被告人から直接聞くことができなかったため、十分に言いたいことが尽くされているのか定かではない捜査段階に作られた調書を頼りに推察するという状況にあって、証拠の評価を非常に困難なものとしている。

そして、当裁判所は、右に指摘したような証拠の性格について十分配慮しつつ、乙川の供述の信用性や一郎の供述の証拠能力、証明力などについて検討したが、結局のところ、乙川との接触以下前記争いのない事実と被告人の自白の状況から、被告人が乙川の財布を奪う意味で乙川にぶつかり、転倒させた上財布を奪ったという疑いは残るものの、自白を除くその余の証拠からは、乙川が転倒した原因や状況について具体的にこれを特定することができないため、最終的には自白によってこれを補うことができるかという自白内容の真実性の評価に依拠判断するほかなくなり、しかも、自白がそれを除く証拠から窺われる転倒の原因と必ずしも合致しないと考えられる上、自白における暴行の態様自体具体性に欠け、必ずしも真実とは断定できないと判断するほかないと決した。以下、自白を除くその余の証拠から、乙川が転倒した前後の状況についてどのような事実が認められるかを検討し、その後、被告人の自白調書の任意性や信用性について判断し、右結論に至った理由を示すこととする。

二  乙川春子の供述内容及びその信用性

1 乙川春子の四月二三日付け検察官調書(甲七四)は、四月二三日同女の入院先に事情を聴きに行った水野谷検察官が録取したものであるところ、その内容は概ね以下のとおりである。

四月九日、午前九時過ぎころ、仏壇に供える花やお供え物を買うため、自宅近くにあるオレンジハウスという店に行こうと、現金約一五〇〇円の入った財布を持ち、着物姿に前掛けをし、下駄を履いた格好で自宅を出た。このとき、自宅の前の道路の自分から見て右の方から、五歳前後の男の子を連れた、自分よりも背が低そうな女性が歩いてくるのを見た。自分は特に気にも留めずオレンジハウスに向かったが、この女性は子供を連れて自分の後方から歩いてきた。そして、自宅を出て最初の十字路を右折し、右側に白樺の木がある辺りまで来たとき、先ほどの男の子が私の前の方に来て、「おばあちゃん。」と声をかけてきたので、「年はいくつ。」と聞いたところ、その男の子は片方の手を開いてみせたので、五歳かと思った。その後、自分はそのまま歩き、男の子は自分の右横を歩いていた。ところが、このようにして歩いていたとき、誰かに背中の左側を手で押され、それと同時に履いていた左の下駄のかかとの部分を踏まれ、そのため自分はその場に左半身から倒れ、仰向けの状態になってしまった。自分は先ほどの子供を連れた女性に助けてもらおうと声をかけたと思うが、その女性は、自分を助ける素振りも見せず、子供と一緒にバス通りの方に歩いて行ってしまった。それで、自分は、この女性が自分の背中を押したことが分かった。自分は、自宅を出るとき前掛けをしており、その前掛けの右ポケットに財布を入れていたと思うが、途中でどちらかの手に無意識のうちに財布を持ったりしたかも知れない。いずれにしても、自分はいつこの女性に財布を取られたのか分からない。

なお、乙川は、転倒した際の状況については、検察官の「誰かがお婆さんにぶつかって来たのとは違いますか。」との問いに対し、「違います。ぶつかって来たら私も分かります。背中を手で押されたのです。でも、両手で押されたのか片手で押されたのかまでは分かりません。」、「そして、背中を押されると同時に、私の背中を押した人が、私の左の下駄のかかとを踏んだのです。」と答えた旨、問答形式で記載されている。

2 ところで、弁護人は、乙川の右検察官に対する供述について、供述を録取した時点で既に乙川の痴呆が進行していた疑いがある上、四月九日付けで提出された被害届(甲二)や乙川の同日付け警察官調書(甲五、八六)には、「下駄の後ろあたりを踏まれて前に倒れた」とか、「左足の方を出そうとした時に下駄の後ろを踏まれるなどして突然前に倒れてしまった。足が前に出なくてつんのめるように膝を地面に付くように倒れてしまった。」という記載はあるが、背中の左側を手で押されたというような供述は全くなく、供述の変遷があるのは明らかで、被害者は八五歳と高齢であったため記憶が曖昧となって捜査官の誘導に乗りやすい状況にあり、転んだ原因についての乙川の右供述は、「乙川の背中を左肩で押した」という被告人の捜査段階の供述を念頭に、捜査官が誘導した結果できあがった疑いがあり信用できないと主張する。

これに対し、検察官は、乙川は、被害直後に救助にあたった一重に対し、「下駄を踏まれた、押されて倒された、それから財布を持って行かれた。」と述べていたものであり、押されて倒れたという事実について、乙川が、被害直後から下駄を踏まれたことと並んで話していたことは、一重証言から明らかであるから、山口の供述に不合理な変遷はないと主張している。

そこで検討するに、証人稲葉農利子の公判供述、その他の関係証拠を総合すれば、乙川は、事件当時、八五歳と高齢であり、そのため若干耳が遠くなってはいたものの、自分の部屋の掃除などの身の回りのことは自分で行い、毎日のようにタバコや仏花を買いに外出しており、骨折のために入院中の病院で四月三〇日の深夜に心筋梗塞の発作を起こす以前は、稲葉ら家族の者との会話の受け答えもしっかりしていたことが認められる。また、被告人が、乙川とは向かい合うように歩いていたと供述していたのに対し、乙川が、一貫して同方向に歩いていたと供述し、それが後に被告人も認めるに至ったことからしても、乙川は、被害感情の強い面は窺われるものの、自己の体験した事実を概ね正しく認識し、記憶しており、記憶に従って正直に答えようとしていると評価してよいと思われる。しかし、乙川の供述は、全く予期しないまま被告人に背後から接触され、転倒した直後は驚きと激しい痛みに襲われて注意が回らなかったためか、本件を検討する上で必要不可欠な転倒した直前及び直後の状況に関する供述に乏しく、その検察官調書を子細に検討しても、接触してきた人物がどのように行動したのか、路上に落ちた財布がどのようにしてなくなったのかなどといった事実を特定することは全く不可能である。

乙川は、転倒の原因について、誰かに下駄を踏まれたと供述しているが、右の供述は被害の直後から一貫している上、乙川は被害直後に病院に事情を聴きにきた警察官に対し、「左足を前に出そうとした時に誰かに下駄を踏まれたのか足が前に出ず転倒した。」旨、体験した者でなければ容易に供述できないと思われる具体的な供述をしており、また、下駄を踏まれたとの供述は乙川が当時履いていた下駄の左かかと部上方に真新しい擦過痕様の部分が認められること(甲一三)や乙川の負傷の部位などとも矛盾がないのであって、少なくとも、乙川の足に何らかの接触行為があったことを認めることができ、他に原因があったかどうかはともかく、乙川が左足の下駄を踏まれるか何かして足が前に出ないような状態にされ転倒したと認めることができる。

これに対し、乙川は、下駄を踏まれると同時になされたという背中を手で押すという暴行の点について、被害当時、警察官にその旨の供述を少なくとも明示的にはしていなかったものと認められる。確かに、証人一重敏也は、検察官が指摘するとおり、乙川を助けた際、乙川が、「下駄を踏まれた。押されて倒された。それから財布を持って行かれた。」と述べていた旨供述するが、他方、弁護人の質問に対しては、「おばあちゃんの言ったことは、『転ばされた。』、『財布を持っていかれた。』、あと、道の案内。それくらいしか記憶ない。」と答え、更に、乙川を救助した時はこれが事件になるというような認識はなく、事件から六日後の四月一五日におばあちゃんが転ばされてお金を盗まれた事件のことで事情を聴きたいと言われ、警察官から、おばあちゃんはこう言っているがというように聞かれたという趣旨の証言をし、更には、証人尋問に臨むため検察官と打合せをした際、記憶を喚起することができなかったため、事前に調書を自ら閲覧し、あるいは検察官に全文を読み聞かされ、記憶の喚起を図って証言に臨んだと述べているのであって、事情聴取の前に警察官から、実際には被告人と思われる関係者がこう言っていると言われて供述していることなどから考えると、一重の証言の証明力はそれほど高いとは思われない。右に加え、後記の乙川の供述状況を考え併せると、一重証人から、直ちに乙川が当初から一貫して背中を手で押されると同時に下駄を踏まれて倒されたと供述していたとまでは断定できないというべきである。

なお、弁護人は、一重証人の右証言部分は、事前に調書を閲覧するなどして行ったもので、刑事訴訟規則一九九条の三第四項及び同規則第一九九条の一一第一項に抵触することを理由に証拠から排除されるべきであると主張しているが、本件における前記のような事前テストの状況を考えても、それが証言の証明力に影響を及ぼすことは格別、証言の証拠能力に消長を来すことはないと解するのが相当である。また、弁護人は、右証言部分について、更に、伝聞供述であるから証拠から排除されるべきであると主張するが、本件においては、右証言部分は、乙川の供述の信用性を判断する関係で証拠として用いているに過ぎないから伝聞証言には当たらず、証拠能力は認められる。

そして、乙川の被害直後に作成された警察官調書と右検察官調書を素直に読み比べれば、やはり、「左足の方を出そうとした時に下駄の後ろを誰かに踏まれるなどして足が前に出なくてつんのめるように膝を地面につくように倒れてしまった」という被害直後の供述と、検察官調書における供述では、下駄が踏まれたと述べる点では共通しているものの、想起される侵害行為の態様が異なり、単に供述が具体的になったということでは説明しきれないものが残る。すなわち、乙川は、ぶつかってきたのではない、背中を手で押されたと供述しているが、背後から押されたときに、その感触だけで手で押されたと判別できるかどうか、仮に、そこまではっきり認識していたのであれば、なぜ、被害の直後に事情を聴きにきた警察官にその旨の説明をしていないのかといった疑問が生じる。この点について、手で押されたと述べる部分は、検察官調書になって初めて出たものであり、同日付けの警察官調書には単に背中を押されたとあるだけで、次第に被害が強調されたと考えることもできるし、被害直後の供述は、下駄を踏まれたことがより強く印象された結果と考える余地がないわけではないと説明することも一応可能である。しかし、右の疑問について乙川本人からその事情を確認し真偽を確認する術のない本件においては、疑問は依然として残る。そして、背中を押されたという乙川の供述は、本件捜査の過程で、四月九日の段階で乙川から録取した被害状況と被告人の自白の内容が異なることが問題となり、四月二三日に再度乙川から事情を聴取した結果、被告人の供述の裏付けとなる被害者の供述を得ることができたという経過があったと認められること(ただし、竹中刑事は、中島刑事が確認したが、乙川はやはり足をかけられたんだけど、はっきりしないと言っていたと証言している。)なども考慮すれば、弁護人の指摘するように、捜査に携わった警察官が、被告人の自白を念頭におきつつ、誘導し供述を録取した可能性も否定できない。

以上、検討してきたところによれば、乙川の検察官調書により、乙川が転倒した際下駄を踏まれるか何かして足に何らかの行為が加えられたという事実は認められるものの、背中を手で押されたという供述については直ちにこれを認めることはできない。また、右調書によっては、乙川が所持していた財布が道路に落ちた後、どのような経過をたどってなくなったかも特定することはできないと認められる。

三  丙山一郎の警察官調書の証拠能力及び信用性

1 そこで、次に、検察官が本件犯行の目撃者とする一郎の警察官調書で被害の状況がどの程度認定できるかについて検討する。ところで、弁護人は、右調書の取調べに同意したものの、右調書は、親族の供述拒否権を告知せずに録取された違法なものであるし、事件当時、一郎は四歳の幼児であって供述能力など全くなく、また、一郎の言葉を記載したものではないなどと主張し、刑事訴訟法三二六条一項にいう「相当性」の要件を欠き、証拠能力が認められず、証拠から排除されるべきであるし、内容的にも信用できないと主張する。

2 そこで、以下、弁護人指摘の問題について順次検討していくこととする。

(一) 証言拒絶権の説明の欠如の主張について

弁護人は、右調書は、一郎や立会人の丙山太郎に対し、親族の証言拒絶権の補償がなされぬままに取調べがなされ、調書が作成されたものであるから、違憲・違法な証拠であり、証拠能力が認められないとする。しかしながら、そもそも刑事訴訟法一四七条が一定の近親者に対して証言拒絶権を保障したのは、親族間の近親的情誼を顧慮した立法政策に由来する制度であり(最高裁判所大法廷判決昭和二七年八月六日・最高裁判所刑事判例集第六巻第八号九七四頁参照)、証言を「強制」することが親族間の情愛に照らし忍びないという観点から設けられたものであると解すべきであるから、性質上、供述の強制されないことが明らかな捜査段階での参考人取調べにおいては、親族の証言拒絶権は問題となる余地はなく、したがって、この点についての説明を欠いても、その取調べが違憲・違法となるものではないと解される(なお、参考人の取調べにおいては本人の供述拒否権すら告知不要と解されているところである(最高裁判所第三小法廷判決昭和二五年六月一三日・最高裁判所刑事判例集第四巻第六号九九五頁)。)。よって、この点に関する弁護人の主張は採用できない。

(二) 供述能力の欠如の主張について

次に、弁護人は、右調書作成当時、一郎は、四歳五か月の幼児であったものである上、母親がフィリピン人であり、かつ、平成六年一一月から同八年四月まで母親と共にフィリピンで生活していたこともあって、経験不足による軽い言語の遅れがみられ、事件後の四月一四日に児童相談所において行われた発達検査において、発語・言語理解の能力が三歳二か月程度と著しく低い状況にあったものであるから、そもそも供述能力がなかったか、著しく低かったものであって、右調書は証拠能力を欠くと主張する。

確かに、関係証拠によれば、右調書が録取された当時、一郎は、四歳五か月であり、弁護人が指摘するような事情から年齢相応の日本語能力は備わっておらず、主語と述語が逆転してしまったり、自動詞と他動詞を区別して話すことができない場面が見受けられるなど、その供述能力がかなり低かったことは否定できない。しかし、幼児の供述能力が一般的に低いとはいっても、四歳ともなれば、事柄によっては知覚し、記憶し、表現することが全く不可能ともいえないように思われる。すなわち、一郎において供述能力があるか否かは、一郎の観察・記憶・質問の理解・表現等に関する能力、体験事実の難易・抽象度、体験時と供述時の時間的間隔、本件においてはさらに一郎と捜査官との間で行われた具体的なやりとりなどを総合的に考慮し、個別、具体的に判断すべきである。

(三) そこで、以下、具体的に検討するに、取調べに立ち会った父親である丙山太郎の証言によれば、一郎に対する事情聴取は、事件当日の事件発生から約九時間経過した午後六時三〇分ころから、一時間から一時間半をかけて、札幌方面南警察署の取調室において、一郎の父親である太郎を立会人として行われたものであること、一郎は当初緊張して怖がっているような様子が見られたが、山本警部補の質問を太郎が復唱し、更に、分かり易い言葉に置き換えてやるなどすると、答えられない質問もあったが、二言、三言答えたため、太郎において、一郎の答えを補足して山本警部補に説明するという形で行われ、最後に、太郎において調書を読み聞かせてもらい、内容を確認して署名したこと、具体的には、山本警部補の「今日お母さんとどこ行ったの。」、「お母さんの名前は。」、「お母さんと歩いている時におばあちゃんいなかったかい。」といった質問に対し、一郎は、太郎に「ママの名前は。」などと説明してもらい、「買物。」、「パメラ・タド。」、「いた。」などと答えたこと、山本警部補が、「いたというおばあちゃんどうしたの。おばあちゃん転んでいたかい。」というようなことを尋ねると、「おばあちゃん転んで痛い。痛い。」というようなことを述べ、更に、「おばあさんどうして転んだの。」と聴かれると、一郎は、「ママ、悪いの。ドンした。」と答えたが、更に、「おばあちゃん転んだ時お母さんどうしたの。」と尋ねられ、太郎に、「ママどうしたの。」と言われても、直ぐには返答することができず、太郎が、取調室の椅子に座ったままの状態で、「押したの。」と手を前に出す動作をしたり、片足を前に出して「足かけたの。」などと聞いたところ、一郎が足を出した時にうなづいたことから、調書に「足掛けた。」という記載がなされるに至ったこと、一郎はおばあさんが転んだ場所を知っているかどうかについても尋ねられ、調書中には、「知ってるよ。学校の反対側で網のある道路だよ。」と答えた旨の記載があるが、実際のところは明確に場所を特定できるほどはっきりした供述は得られなかったことなどが認められる。

弁護人は、右のような調書の録取経過を踏まえて、右調書は、そのほとんどの部分において、一郎が供述していない事項をあたかも一郎が供述したかのごとく記述しているもので、そもそも、一郎の供述を録取した場面とは言い難く、証拠能力に欠けるものだと主張する。

そこで、検討するに、右調書は、すべて問答式で取られており、取り調べにあたった山本警部補においても、一郎の供述がどのような流れの中で述べられたものかといった点に一応留意して取り調べにあたっていたと見られないではない。しかし、右調書と一郎の証言から想起される現実の一郎の供述状況はかなり異なるようにも思われ、やはり、後にその供述能力があるか、信用できるかといった問題について争われることが予測される一郎のような年少者を調べる場合には、仮に立会人を置いたとしても立会人自身の記憶が薄れ、供述を録取した経過が不明となるといった問題があるから、捜査官において録取を取るなどして後に検証できるようしておくのが望ましい。その意味で、本件の捜査が必ずしも十分なものであったとは認め難い。とはいえ、供述調書は、取調官が供述者の供述を要約して録取することが一般的に認められているのであり、太郎証言に現われる一郎の発した言葉と調書上の記載とは、いくつか齟齬がみられるにしても、調書中の一郎の供述内容は概ね一郎の口ないしは動作によって述べられたものであると認められるし、右調書は、作成後、太郎が、警察官から読み聞かされた後、自ら黙読して、内容に間違いのないことを確認の上、立会人として署名押印したものであることが認められるから、弁護人の主張は採用できず、右調書については、直ちに、その証拠能力が否定されるものではないと解するのが相当である。

(四) そこで、次に、一郎の供述の信用性について検討するに、前記のとおり、右調書を録取した当時、一郎は、警察官の「おばあさんどうして転んだの。」との問いに対し、「ママ悪いの。」と答え、更に、おばあさんが転倒した原因は何かとの問いに対し、言葉では答えなかったものの、太郎が足を前に出した時にうなづくなどしていたことを考えれば、一郎が被告人の犯行を目撃しており、つたないながらも目撃状況を供述していると見る余地がないわけではない。しかし、先に認定したとおり、一郎は、警察官の質問を受けてもすぐには答えられず、太郎が、「ママこうやって押したの」と言いながら両手を前に突き出す動作をしたときには反応を示さず、次に、「こう引っ掛けたの」と言いながら片足を前に出す動作をしたときにうなづいたというのであって、かかる状況からすれば、一郎が警察官ないしは太郎の、答えはいずれかであるかのような尋ね方に影響されて供述した可能性も否定できない。また、一郎が調書の中で乙川の財布を取ったのは誰かという質問に対して答えることができていないことからすれば、その直前の出来事である接触の態様について現実に視察していたかどうかについても疑問が残る(なお、この点につき、太郎は、取調べにおいて、警察官が、一郎に、「おばあちゃん財布持ってたよね。その財布どうしたの。」と尋ねたのに対し、一郎が「ママ持ってった。」と答えた旨証言するが、仮に、そのような言葉が一郎の口から出たのであれば、捜査官としては当然その旨を調書に録取するはずであって、この点に関する太郎の供述の信用性には重大な疑問があるといわなければならない。)。それに、そもそも、右調書には、一郎が目撃した際の関係者の位置関係等目撃の状況が一切明らかになっておらず、この点、太郎は、一郎はおばあちゃんと被告人からやや離れた前方の方にいたと述べていたと証言しているのであって、どうして自分より後方で突然起こった出来事について目撃できたかなど、目撃証言の信頼性を担保すべき具体的な裏付けが全くなく、信用性には重大な疑問が残るといわざるを得ない。そして、一郎が、「おかあさん、悪いの。」と述べたという点も、被告人が乙川と接触し、その結果として乙川が転倒したことなどを捉えて、「お母さん悪い」と言った可能性も否定できないのであり、右調書によっても、当事者間に争いのない、被告人と乙川が接触した結果、乙川が転倒したという事実を裏付ける限度でのみ信用性が認められるにすぎないというべきである。

なお、右の点に関連して、竹中刑事及び中島刑事の証言中に、四月九日に被告人方に事情を聴きに行った際、一郎が、「お母さん、おばあちゃん転ばした。財布取った。」と日本語で述べたという部分があり、このような事実からも一郎の目撃供述は信頼できるという考えもなくはないと考えられる。しかし、一郎は、父親である太郎の立会いの下で太郎に警察官の質問を分かりやすく言い直してもらっても、先に認定したような答弁をする状況にあったことからすると、一郎が警察官の質問に対し頷くというような態度を取るようなことはあったとしても、竹中刑事らが供述するように答弁したとはにわかに信じ難く、また、仮に、竹中刑事らが供述するとおり、一郎が答弁したとしても、一郎の目撃供述については、先に指摘したような問題があり、前記判断の妨げになるものとは考えられない。

四  自白調書の任意性について

以上検討してきたところによれば、自白調書を除くその余の証拠によっては、乙川が左足に履いていた下駄のかかとを踏まれる何かして、足に何らかの行為が加えられて転倒し、その際乙川の財布がなくなったことは認められるものの、被告人と乙川の体が接触した理由や原因は明らかではなく、また、乙川の財布がどのような経過を辿ってなくなり、その後少なくとも右財布在中の現金を被告人が取得するようになった経過も分からないのであって、これらの証拠から、直ちに、被告人が乙川から財布を奪う目的で意図的に右の行為をしたとは認められない。結局、本件で、被告人が強盗致傷罪を犯したと認められるかどうかは、被告人の自白調書の証拠能力が肯定された上、右の各点、特に乙川と接触した経緯、態様等について、自白が十分に信用できるかどうかにかかることになる。そこで、以下、自白調書の任意性について検討する。

1 弁護人の主張の要旨

弁護人の主張は、多岐にわたるが、その要旨は、以下のとおりである。

(一) 被告人は、四月九日午後、被告人方から札幌方面南警察署に任意同行されたが、その際、被告人は警察官七、八名に自宅に上がり込まれ、通訳人もなく、警察署に連れて行かれる理由についてすら説明されず無理矢理連行されたもので、右任意同行は実質的な逮捕に当たる。また、四月九日午後九時過ぎころ行われた犯行現場への引き当たりの際、被告人は、逮捕手続前であるにもかかわらず、両手に手錠を掛けられて連行されたもので、自白調書は違法な身柄拘束中に取られたものにほかならない。

(二) 被告人が、タガログ語を母国語とする外国人であって、日本の刑事手続などについて知識を持ち合わせていないのに、四月九日の任意同行後、通訳人の到着を待つ間もなく、取調べが開始された上、その際、取調官である竹中刑事は供述拒否権を告知せず、取調べ開始から約三〇分後に到着し、取調べに立ち会い通訳を担当した歸山博之刑事も、供述拒否権を告知しなかった。また、逮捕手続の際も逮捕状を読み上げられたり、弁護人選任権の説明などを受けたことがなかったもので、被疑者の権利が保障されぬまま取られた自白である。

(三) 被告人が任意同行を求められた際、子供三名も一緒に連行されたが、被告人は、子供たちと分離され、三男の泣き声が聞こえてくる中で取調べを強いられ、著しい心理的圧迫を受けた。被告人は、同日午後五時三〇分前後から同月一〇日午前零時ころまでの六時間余りの長時間、身柄を拘束されたまま取調べを受け、その間、食事は一切与えられず、トイレにも行かせてもらえず、水も自白調書に署名するまで与えられなかった。

(四) 被告人は、四月九日以降、一貫して犯行を否認し続けており、一度も自白をしたことはなかったが、竹中刑事に勝手に犯行を認める旨の自白調書が作られ、大声で怒鳴られたり、机を被告人に押しつけてがたがたと揺らすなどの威迫行為を受け、かかる自白調書に署名を余儀なくされた。

(五) 捜査段階において通訳人を務めた、歸山刑事、カカルド・レオ及びベンジャミン・ベラスケスは、いずれも、タガログ語能力及び日本語能力にそれぞれ問題があり、十分な通訳能力を有していなかった。被告人は、かかる不十分な通訳により、取調官の質問や作成された調書の内容を正確に理解しないまま自白調書に署名したもので、右調書は錯誤に基づいて作成されたものである。

2 本件捜査の経過及び被告人の取調べ経過

(一) 関係各証拠によれば、本件捜査の経過及び被告人の取調べ経過は、以下のとおりであると認められる。

(1) 四月九日午後三時ころ、乙川の義理の息子である稲葉良一から、「乙川が自宅近くで転ばされて財布を取られた」旨の被害の申告を受けた札幌方面南警察署では、乙川が入院している五輪橋整形外科病院に竹中刑事及び池内巡査を派遣し、同日午後三時三〇分ころ、乙川から被害状況について事情聴取したところ、「買い物に行く途中に、三五から四〇歳位の女性、五、六歳位の男の子の二人連れから、下駄を踏まれたか足をかけられたということで転ばされて、気がついたら財布がなかったので、財布を取られたと思う」というような供述を得た。竹中刑事は、乙川から得た情報について、供述調書とせず、報告書にもまとめなかったが、事件発生ということで本件現場近くの札幌方面南警察署藻南交番に集合していた同僚の下に戻り、口頭で乙川から聴取した被害状況や、乙川を転倒させて財布を奪った犯人が五歳くらいの子供を連れた女性であった可能性が高いというようなことを報告したところ、窃盗の前歴を有し南警察署で取り扱ったこともある本件現場付近に幼児三人などと暮らす被告人が容疑者として浮上してきた。そこで、札幌方面南警察署の中島輝夫刑事及び竹中刑事ら警察官約七名は、被告人から任意に事情を聴取すべく、同日午後四時三〇分ころ、被告人方前に赴き、うち少なくとも中島刑事と竹中刑事の二名が被告人方に入って、被告人に対する事情聴取を行なった。中島刑事は、被告人に、警察手帳を示すなどして身分を明らかにした上で、「朝、おばあちゃんが財布を取られた事件があったので、その事件について事情を聴きたい。」、「午前中外出していないか。」というような点について確認したが、その際、その傍らで竹中刑事から事情を聴かれていた一郎が被告人が事件とかかわりがあるとも取れるような言動を取ったため、被告人に動揺が見られ、一郎に近寄って一郎の話を自分と義母との間のことであるかのように誤魔化すような言動をしたことから、中島刑事及び竹中刑事は、一郎及び被告人の右言動により、被告人に対する嫌疑を強め、被告人に南警察署に同行して話を聴きたいと申し入れ、被告人の子供三名も一緒に捜査車両に乗せて南警察署に同行した。

(2) 竹中刑事らは、被告人を南警察署に任意同行すると、取調室に入れ、本格的な取り調べは、被告人を任意同行する際に無線で手配するよう頼んでおいた通訳人が到着してから行うことにして、簡単な事情聴取を始め、同日午後五時四〇分ころ、通訳人である歸山刑事が到着すると、同人を通訳人として、竹中刑事が、被告人に対する本格的な取調べを開始したところ、被告人は、当初、一郎が投げた石を避けようとして過って背中合わせになるような格好でぶつかってしまった、財布を拾ったのは一郎で自分ではない旨弁解していたが、最終的に、同日午後九時ころには、「六〇歳以上にはなっている着物を着たおばあちゃんが右手に財布を持っていたことから、その財布を取ってやろうと思い、体当たりをしておばあちゃんを転ばせ、転んだときにおばあちゃんが右手に持っていた財布を道路に放したので、その財布を取って、一緒にいた長男の一郎と逃げた」旨の、本件犯行を概括的に認めた自白調書(乙二)が作成された。また、被告人を任意同行するのと並行して、被害の事実を裏付けるため、同日午後五時過ぎ以降に乙川の入院している五輪橋整形外科病院に筒井刑事を派遣し、乙川から被害状況を聴いて警察官調書を録取した。

加えて、被告人の取調べと並行して、被告人の犯行を目撃した際の状況を究明するため、事件当時、被告人と行動を共にしていた一郎について、太郎を立会人として取調べが行われ、警察官調書が作成されたほか、一郎の供述状況を明らかにする趣旨で太郎の取調べが行われた。

(3) 被告人の自白調書作成後、同日午後九時一八分ころから四一分ころまでの間、本件現場に対する引き当て捜査が行われ、被告人は、本件現場まで、伊藤刑事、歸山刑事他二名の警察官を案内した。

(4) 被告人は、右引き当て捜査終了後、再び南警察署に戻ったが、南警察署は、前記自白調書及び引き当て捜査の結果から、被告人が本件の犯人であることの嫌疑を強め、乙川作成の被害届、乙川の警察官調書、入院診療計画書、被告人の警察官調書、引き当たり捜査報告書などの捜査書類を整えて、同日午後一〇時過ぎ、裁判所に対し、逮捕状を請求し、通常逮捕状の発付を得て、同月一〇日午前零時一〇分ころ、右通常逮捕状を執行し、その際、「今、逮捕される事実というの読んでもらい、通訳の人からも説明を受けましたが、その通り間違いありませんし、それに対して何も弁解することはありません。弁護人を頼めることは分かりましたが、お金がないのでいりません。」と記載された、作成者を中島刑事、通訳人を歸山刑事とする弁解録取書(乙一)が作成された。なお、逮捕状の被疑事実の要旨は、「被疑者は、平成九年四月九日午前九時三五分頃、札幌市南区川沿七条<番地略>ファミール七二方前路上において、同所を通行中の乙川春子(八五歳)を認めるや、金品を強取しようと企て、後方から同女に近寄り足を掛け、その場に転倒させるなどの暴行を加えてその反抗を抑圧した上同女から現金二〇〇〇円位在中の財布一個(時価五〇〇円相当)を強取し、その際、右暴行により全治三か月の入院を要する左大腿骨顆上骨折の傷害を負わせたものである。」というものである。

(5) 同月一〇日、竹中刑事は、歸山刑事を通訳人として、午前九時四〇分から午前一〇時一〇分までの間及び午後一時五分から午後四時二〇分までの間、被告人に対する取調べを行い、その結果、被告人の身上・経歴が書かれた調書一通(乙三)と、本件犯行の動機につき、夫は自分に全くお金をくれないので、買い物をしたりパチンコをするお金が欲しかったからである旨、犯行状況につき、自分の左肩でおばあちゃんの背中の左肩下部分を押し、道路に落ちた財布を拾って早く歩いて逃げた旨の前日よりやや詳細な自白調書一通(乙四)が作成された。

(6) 同月一一日、被告人の身柄の送致を受けた水野谷幸夫検事は、フィリピン人でホテルの従業員として稼働している民間人のカカルド・レオを通訳人として、被告人に、逮捕状と同一の被疑事実を読み聞かせて弁解を聴取したところ、「日本人のおばあさんを転ばせて、おばあさんが持っていた財布を取ったことは間違いない。」旨が記載された弁解録取書(乙一三)が作成された。なお、竹中刑事は、同日午前一〇時四五分から同一一時二五分ころまでの間(通訳人歸山刑事立会い)、及び翌一二日午前一〇時三〇分から同一一時二〇分までの間(通訳人なし)、犯行状況や犯行前後の行動などについて被告人に対する取調べを行ったが、調書は作成されなかった。

(7) 同月一二日、札幌簡易裁判所裁判官三浦大介は、レオを通訳人として被告人に対する勾留質問を行い、勾留請求書記載の被疑事実(逮捕状記載の被疑事実と同旨である)を読み聞かせて、被告人の弁解を聴いたところ、「足を引っ掛けてはいない、肩をぶつけて転ばせた、その余の事実はそのとおり間違いない。」旨記載された調書(乙一四)が作成された。

(8) 竹中刑事は、同月一四日から同月二一日までの間、同月一八日及び同月二〇日の二日間を除いてほぼ連日、ベラスケスを通訳人として(ただし、同月一四日の午前、同月一七日の午前、同月一九日の午後及び同月二一日の午前は通訳人なし)、被告人に対する取調べを行い、その結果、いずれも、財布を取るために故意に乙川を転倒させた旨が記載された計七通の自白を内容とする調書(乙五ないし一一)が作成された。ただし、同月一六日付け及び同月一七日付けの二通の調書(乙川八、九)では、それまで、財布を拾ったのは自分だと述べてきたのに対し、乙川の財布を実際に取ったのは一郎である旨が述べられており、内容に変遷がみられる。また、その間の同月一八日、水野谷検事も、ベラスケスを通訳人として被告人に対する取調べを行っており、その結果、被告人の身上・経歴が記載された調書一通(乙一五)が作成された。

(9) 同月二三日の午前、午後及び同月二四日午後、竹中刑事は、いずれも一〇分ないし五〇分のごく短い時間、被告人に対する取調べを行ったが(同月二三日午後のみ通訳人ベラスケス立会い)、被告人が、これまでの自白を撤回し、おばあちゃんにぶつかったのは、一郎が石を投げてきたため、これを避けようとして過ってぶつかってしまったものであって、事故だと犯行を否認したため、上司とも相談して否認調書は作成しなかった。

(10) 同月二五日及び同月二八日、水野谷検事は、被告人に対する取調べを行い、同月二五日には、本件に至るまでの被告人の生活状況及び直前までの行動について述べられた調書一通(乙一六)が作成され、同月二八日には、被告人は、一郎が木及び石を投げ、石を避けようとして過ってぶつかった旨供述し、その旨を録取した調書(乙一七)が作成された。また、その間の同月二六日及び二七日の二日間、竹中刑事も被告人に対する取調べを行ったが(通訳人はなし)、いずれの日も被告人が否認していたため調書は作成されなかった。

(11) 同月二九日、竹中刑事が歸山刑事を通訳人として、被告人に対する取調べを行い、被告人が乙川と接触した後、タクシーに乗って薬局に行きブロン液を購入していることの裏付けが取れたことなどを説明し、これまで被告人が乙川と向き合う形で歩いていたと述べていたのは嘘ではないかと追及したところ、被告人は、実際は、乙川の後方から歩いていた、ブロン液を買いに行ったことを知られたくなかったとの供述が得られた一方、被告人は、前日同様、一郎が投げた石を避けようとして過ってぶつかった旨供述し、その旨の調書(乙川一二)が作成された。

(二) なお、被告人は、公判廷において、四月九日付け調書が作成されたのは現場への引き当たり捜査の後である旨供述するが、竹中刑事、中島刑事、歸山刑事及び伊藤刑事は、いずれも前記認定のとおり証言しており、その証言は、午後九時ころ調書を作成し、午後九時一八分から四一分までの間引き当たり捜査を行って、逮捕状請求にかかる疎明資料を整えた上、午後一〇時ころ逮捕状を請求し、翌一〇日午前零時一〇分逮捕状を執行したという時間的経過に照らしても自然であり、信用できるものである。したがって、右認定に反する被告人の供述は信用できない。

(三) また、右の捜査に並行して、南警察署では、四月一一日、乙川の娘の稲葉農利子から被害当時乙川が着ていた着衣や下駄などの任意提出を受け、四月一七日までに捜査報告書を作成したほか、やはり、四月一一日、乙川の負傷状況を明らかにするため、乙川の主治医の石間巧から事情を聴き、警察官調書を作成した。更に、乙川を救助した際の状況を明らかにするため、四月一五日、乙川を救助した一重から事情を聴き、一重立会いで実況見分を行い、一六日付けで実況見分調書が作成された。また、四月二三日には、被告人の自白と被害者の述べる被害状況が必ずしも一致しないことから、もう一度乙川から被害の状況を確認するため、中島刑事及び水野谷検察官が相次いで五輪橋整形外科病院に乙川を尋ね、乙川から被害の状況について事情を聴取し、調書を作成した。更に、四月二三日以降、被告人が自白を撤回し否認供述をはじめたことを受け、被告人の弁解を排斥するべく、被害現場に石などが落ちている可能性が低いことを裏付けるため乙川を救助した一重から四月二九日に再度事情を聴取し、警察官調書が作成された。また、乙川の供述を裏付けるべく、この段階に至って、初めて被告人と乙川の身長差を比較した捜査報告書(四月二三日付け。甲二〇)、乙川が持っていた財布のおよその形状を明らかにし、乙川が財布を前掛けのポケットに入れていた場合には、それがポケットから僅かにはみ出して見えるという捜査報告書(四月二六日付け。甲二一)が作られ、更に、乙川がよく買い物にやって来ていた商店の店員から事情を聴取し、乙川が財布を前掛けに入れて買い物に着ていたことを裏付けるべく警察官調書(四月二六日付け。甲四二)が作成された。

3 弁護人及び被告人の主張に対する判断

(一) 違法な身柄拘束の下で取得した自白であるとの主張について

被告人は、七、八名の警察官に自宅に入り込まれ、任意同行の理由を説明されることもなく、無理矢理警察署まで連行されたと供述する。

しかし、中島刑事及び竹中刑事は、いずれも、警察官約七名で被告人方前に赴いたが、実際に被告人方に行ったのは中島刑事及び竹中刑事の二名だけであり、他の警察官は車両内で待機していた、被告人に対しては、中島が、「朝、おばあちゃんが財布を取られた事件があったので、そのことで話を聞きたい。」旨説明して事情聴取を行い、また、任意同行を求めたのも、被告人や一郎の言動から被告人が事件にかかわっている可能性があると認め、「今、一郎君が言ったようなことについていろいろと聞きたい。」旨説明したと一致して証言しており、右各証言のうち、一郎が、「朝何かあった。」との竹中刑事の質問に対し、日本語ではっきり「お母さん、おばあちゃん転ばした。財布取った。」と述べたと供述する部分については、前記のとおり、直ちに信用し難いものがあるものの、警察官らが被告人方に赴いた時点では、被告人に対する容疑もそれほど高まってはいなかったのであり、この段階で、それほど広くない被告人方に七、八名もの警察官が入り込むことは、通常考え難く、被告人方に立ち入った警察官の人数などの点で中島らが虚偽を述べているとは考え難い。また、任意同行の理由の説明がなかったとの点についても、被告人自身、公判廷において、おばあちゃんとぶつかったということで家の中では質問できないから警察署に行きましょうと言われた、一郎が被告人が事件にかかわっているとも取れる言動を取ったことから警察に行かなければならないと思った旨供述しているのであり、これらの点からすれば、無理矢理連行されたとの被告人の供述は信用できないというべきである。

なお、弁護人は、警察官らが、被告人方で、事情聴取を行い、任意同行を求めた際に、任意同行の意味などについて被告人が理解できるよう通訳人を同行していないのは、市民的及び政治的権利に関する国際規約一四条三項に違反するとも主張している。しかし、右のとおり、被告人は、中島刑事らに日本語ではあるものの、警察官がやってきた理由や任意同行を求める理由などについて説明を受け、これを了解して任意同行に応じたというのであるから、通訳人を伴わなかったからといって、右の手続が違法とはならない。

また、被告人は逮捕前に手錠をかけられて本件現場に連れていかれたと供述するが、右引き当たり捜査に同行した伊藤刑事及び歸山刑事、南警察署において現場に赴く際と戻って来た際の被告人の姿を見ている竹中刑事及び中島刑事がいずれも一致してこれを否定している上、手錠が必要であったような事情も何ら窺われない本件において、警察官が手錠をして引き当たりを行ったという被告人の供述は到底信用できないというべきである。なお、弁護人は、右引き当たり捜査の状況をまとめた捜査報告書(甲一七)に被告人の指示説明の様子を撮影した写真がなく、被告人が車内にいる写真のみが添付されているのは、手錠を隠すためであった疑いがある旨主張する。しかし、指示説明の際に写真を撮影したことは被告人自身も公判廷で供述しており、右写真が添付されなかったことについては、伊藤刑事が、まず車内にいる被告人を撮影し、その後、被告人を車から降車させて犯行場所の説明を受けて写真を撮ったが、光源が弱く、真っ暗な状態で撮影されたので、報告書には添付しなかった旨証言しており、右証言は内容的にも合理的である上、報告書に添付された、車内にいる被告人の様子を撮影した写真もかなり光源の弱い状態であることとも符合しており、信用できる。したがって、弁護人の主張するような疑いは認められない。

(二) 通訳人なしで取調べが開始され、供述拒否権も告知されず、逮捕状を執行する際に被疑事実の要旨も弁護人選任権も告知されず、被疑者としての権利が全く保障されない状況下で取得された自白であるとの主張について

被告人は、四月九日の取調べの際、竹中刑事からも歸山刑事からも供述拒否権の説明を受けていない旨供述する。

しかし、この点につき、竹中刑事及び歸山刑事は、一致して、竹中刑事がまず日本語で説明を行い、続いて歸山刑事があらかじめ用意していた英語とタガログ語で記載された書面を被告人に示し、更にこれを読み聞かせて告知した旨証言しており、右各証言は、同日付けの調書(乙二)の末尾に、タガログ語と英語で供述拒否権について説明した書面の写しが、被告人の署名指印がなされた上で添付されていることによっても裏付けられており、被告人の供述は到底信用できない。なお、右添付書面には、供述拒否権についての説明に付加して、「しかし、あなたの沈黙はあなたが自分の犯した犯罪を後悔しておらず、そして自分の犯したすべての犯罪を心から受け入れ真実とみなしている事を意味するでしょう。」との和文、英文及びタガログ語が記載されており、弁護人は、この点を捉えて、仮に右書面が被告人に提示されたとしても、供述拒否権についての正確な説明がなされたとはいえないと主張する。確かに、右記載は、供述拒否権保障の趣旨を正確に説明したものとは言い難く、読み方によっては供述を強制している趣旨にも取れ、黙秘権の説明としては不適切である。しかし、被告人は、公判廷において、以前に別の事件で逮捕されたときに供述拒否権の告知を受けたことがあり、今回も自分にこの権利があることは知っていた、竹中刑事や検事の取調べのときは供述拒否権を分かった上で取り調べを受けていたと述べ、また、現在理解している供述拒否権の意味についても、述べたいことなら述べてもいいということ、言いたくないことがあったら言わなくてもいいという権利だと思うと、その内容を正確に述べてもいるのであり、かかる被告人の供述などからすれば、被告人は、本件の取調べにおいて、供述拒否権の内容を十分に理解していたと認められる。よって、弁護人の右主張は採用できない。

また、被告人は、四月一〇日の逮捕の際、逮捕状を読み上げられたり、弁護人選任権等の説明を受けたことはなかったと供述する。

しかし、中島刑事及び歸山刑事は、いずれも、逮捕した際は、中島刑事が、歸山刑事の通訳で、逮捕状記載の犯罪事実の要旨を読み聞かせ、弁護人選任権を告知した旨証言しており、このことは、同日作成された弁解録取書にその旨が記載され、被告人の署名指印がなされていること(乙一)によっても裏付けられている。したがって、被告人の供述は信用できない。

更に、被告人は、任意同行後、直ちに取調べが開始された旨述べ、弁護人も、右供述を踏まえ、被告人は、通訳人による通訳なしでの取調べを強要されたとして、取調べ手続の違法を主張する。しかし、竹中刑事は、入谷刑事第一課長から、通訳人が間もなく来るので、それまで本格的な取調べはするなという指示を受けたので、通訳人が来るまでは、被告人方での事情聴取の際に被告人が述べたことの確認をするにとどめ、本格的な取調べは歸山刑事が到着してから始めた旨証言しているところ、竹中刑事が、少なくともこの時点においては、通訳人の立会いを待って取調べを始めようと考えていたことは、被告人自身、公判廷において、翌四月一〇日の取調べの際に、竹中刑事から、「ちょっと待ってね、通訳が来るから。」と言われたと供述していることからも窺われるのであって、竹中刑事の右証言は信用できるというべきである。そして、竹中証言にあるような、既に被告人が日本語で述べていたことを確認する程度の会話をするに際し、これを通訳人立会いの下で行わないかぎり違法であると解することはできない。したがって、この点に関する弁護人の主張も採用できない。

(三) 子供たちを人質とする取調べについて

弁護人は、警察官らは、任意同行の際、被告人の子供三名も一緒に警察に連行し、被告人は、子供たちと分離され、三男の泣き声が聞こえてきる中での取調べを強いられ著しい心理的圧迫を受けたと主張する。

しかし、中島刑事及び竹中刑事の証言等によれば、中島らが被告人の子供三名を警察に同行することにしたのは、任意同行を求めた際、被告人の方から「子供も連れて行っていいかい。」と言われ、他に面倒をみる者もいなかったことからこれを承諾したものであることが認められる。また、中島刑事、竹中刑事及び太郎の証言等によれば、警察では、同行後、三人の子供たちの処遇のため、直ちに父親である太郎に来てもらうよう連絡を取り、その間は婦人警官らが南警察署二階の道場等で食事をさせて面倒を見ていたこと、被告人自身、公判廷において、午後七時か七時半の間に、太郎が子供を迎えに南警察署に到着しているのを見た旨供述しており、子供たちが父親の庇護の下家に帰るであろうことも当然予測できたはずであることが認められ、結局、弁護人の主張するような、子供を人質として自白を強制するような取調べが行われた事実は認められない。したがって、弁護人の主張は採用できない。

(四) 食事、水、用便なしでの取調べについて

被告人は、四月九日は、調書に署名するまで、食事も水も一切与えられず、トイレにも行かせてもらえなかったと供述する。

しかし、竹中刑事及び歸山刑事は、いずれも、食事については、同日午後六時三〇分ころから約五〇分間にわたって取調べを中断し、被告人に対して、おにぎり二個と缶入りウーロン茶一本を与え、水、トイレについても、被告人の求めに応じ、適宜、冷蔵庫から冷たい水を出して与え、婦人警官にトイレまで案内させた旨証言しており、右各証言は、同日午後六時三〇分ころに南警察署にやってきた太郎が同じ内容の食事を警察官に買ってきてもらい食べていること等の事実に照らしても十分信用できるものである。これに反する被告人の供述は信用できない。

(五) 取調官による調書の創作及び署名指印の強制について

被告人は、自分は、最初の四月九日の取調べのときから、ずっと一貫して、一郎の投げた石を避けようとして過ってぶつかってしまったと言い続け、一度も犯行を認めたことはなかったのに、竹中刑事は信じてくれず、勝手に犯行を認める旨の自白調書を作られ、さらに、竹中刑事から、サインしないと駄目だと繰り返し怒鳴られたため、仕方がなくサインしてしまった、四月一一日に検察庁で弁解録取書を作成した際や勾留質問を受けた際にも、日本語でわざとぶつかったのではなく、事故なのだと訴えたにもかかわらず、犯行を認める内容の調書が作られてしまった旨供述する。

確かに、竹中刑事作成の自白調書の中には、「(おばあちゃんを)転ばせれば抵抗できなくなり、財布が取れると思った」といった記載があるが、日本の法制度を理解していないと思われる外国人の被告人が、抵抗できなくするというような強盗罪の、構成要件を基礎付ける言葉を自ら供述することはおよそ考えられず、法的な用語ないし強盗の故意にかかる供述部分などについては、竹中刑事が、本件が強盗事件であることを裏付けるため、被告人から供述を取得していった形跡がないわけではない。

しかし、検察官による弁解録取はさておき、勾留質問の際に、裁判官に日本語で「わざとぶつかったんじゃないんです。」としきりに訴えたにもかかわらず、調書には自分の言ったことが書かれなかったなどという被告人の供述は、その内容自体およそ信じ難いものであるばかりか、通訳人として立ち会ったレオの証言とも矛盾しており、到底信用できない。また、自白調書の内容をみても、竹中刑事らが勝手に創作したものとは到底認められない。すなわち、前記のとおり、竹中刑事は、被告人から事情を聴取する以前に入院していた病院に乙川を訪ね、乙川から、子供を連れた女の人が後ろから歩いてきた、履いていた下駄の後ろ部分を踏まれるなどして転ばされた、気がつくと持っていたはずの財布がなかった、女の人に助けてもらおうと思ったがバス通りの方に歩いていってしまったので、その女の人が財布をとって逃げて行ったのではないかと思うという趣旨の話を聴いていたものであり、仮に、竹中刑事が勝手に調書を作ったのであれば、当然に自白調書もこれに沿う内容になっていてしかるべきである。しかるに、実際に作成された調書は、被告人は対面して歩いてきた乙川とすれ違う際に、振り向いて左の肩で乙川の背中を押して倒し、自宅方面に逃げたというもので、乙川の供述とは、事件の発生する直前の両者の進行方向という点で全く異なるし、肩で背中を押されて倒れたのか、下駄を踏まれて倒れたのかといった点でもやはり異なっており、むしろ乙川の供述とは矛盾する内容となっている。そして、被告人自身、公判廷において、竹中刑事は、四月九日の取調べの最初に、押したんですか、下駄を踏んだんですかと質問しているというのであって、竹中刑事が、乙川の右供述から、被告人が乙川の後方から行動したのではないかと考えて質問していることが窺える。さらに、竹中刑事及び中島刑事の各証言によれば、竹中刑事は、中島刑事から右に指摘したような点について被告人の供述と乙川の供述が大きく矛盾しているので更に追及するよう指示を受け、被告人に何度も問い質したことが認められるが、それにもかかわらず、自白調書は一貫して乙川とは対面するように歩いていたという内容になっており、しかも、それは、被告人自身認めるように、被告人が事件直後に、タクシーに乗ってブロン液を買いに行ったことを知られたくなかったために嘘をついていたというのであるから、かかる内容の調書を竹中刑事が勝手に創作したとは到底考えられない。更に、自白調書を子細に検討すれば、道路に落ちた乙川の財布を拾ったのは被告人自身であるといったかと思えば、実際に拾ったのは一郎である(乙八等)となるなど、被告人の犯行を裏付ける供述の枢要部分についても、自白調書の内容が変遷しており、これらの変遷は、逆に、竹中刑事が被告人が供述を変更することを許容して録取したからに他ならないと認めることができる。

したがって、竹中刑事らが、被告人が犯行を否認していたにもかかわらず、勝手に自白調書を作成した旨の被告人の供述はおよそ信用できない。

なお、竹中は、任意同行後に南警察署の取調室で、一郎が石を投げていないと言っているとの報告を受け、その旨を被告人に告げてもなお否認を続ける被告人に対し、机を平手で叩き、語気を強めて大声を出し、「嘘をつくんでない。一郎君は投げていないと言っているぞ。」と追及したり、その後の取り調べにおいて、被告人が竹中の目から見て明らかに嘘と思われるような供述をした際には語気を強めて追及したことを認めており、竹中刑事が被告人に対し強い調子で追及したり、その際机を叩くようなことが全くなかったとはいえないとしても、それば、通常の取り調べの域を超え、供述の任意性を否定するようなものとまでは認められい。

弁護人は、右に関連して、竹中刑事は、被告人が否認から自白に転じた時刻は、午後六時二〇分ころである旨証言しているところ、太郎証言によれば、太郎立会いの下、山本警察官による一郎の事情聴取が行われたのは午後六時三〇分以降であると認められるから、自白に転じた経緯に関する前記竹中刑事証言は虚偽である旨主張する。しかし、この点は、相当性の問題は別にして、山本警察官による一郎の事情聴取以前に、太郎の立会いのない状態で、他の警察官が一郎に石を投げたか否かという点だけを確認して竹中刑事に伝えたと考えることができ、前記竹中証言の信用性に影響を及ぼすものではないと考えられる。また、竹中刑事が、一郎が石を投げていないと言っている旨嘘を述べて自白を強要したとも認められない。以上のとおりであって、竹中刑事に勝手に調書を創作され、強制によってやむなく署名指印させられた旨の被告人の供述は到底信用できないというべきである。

(六) 不正確な通訳による調書記載内容の錯誤について

弁護人は、捜査段階において通訳人を務めた、歸山刑事、レオ及びベラスケスは、いずれも、タガログ語能力及び日本語能力にそれぞれ問題があり、十分な通訳能力を有しておらず、被告人は、かかる不十分な通訳により、取調官の質問や作成された調書の内容を正確に理解しないまま自白調書に署名したもので、右調書は錯誤に基づいて作成されたものであるから任意性を欠くと主張するとともに、各通訳人の個々の通訳内容についての問題点を指摘する。

確かに、弁護人が指摘するとおり、外国人被疑者の取り調べは通訳人を介して行うしかなく、通訳が適正に行われなければ、捜査官と被疑者の意思疎通を欠いて誤った供述調書などが作成される可能性があることは否定できず、通訳を担当する通訳人は、客観的な第三者として、被疑者及び捜査官の発言内容を誠実に通訳することが、調書の信頼性を担保するために不可欠といえる。そして、なるほど、当公判廷で行われた右の三人の通訳人に対する証人尋問の結果などを総合すれば、<1>歸山刑事は、昭和六三年六月から平成元年三月まで警察庁国際捜査研修所においてタガログ語の研修を受け、その後、三〇回程度はタガログ語の通訳の経験があるというものの、弁護人から調書の中の特定の箇所を指摘されこの部分をどう訳したかと質問されるや、答えに窮するような場面が多々見られたことなどからすると、歸山刑事は、文章を訳すというより、ただ、単語を並べていたにすぎなかったという被告人の指摘もあながち否定できないし、<2>また、レオ及びベラスケスについても、来日して既に一〇年以上経つという在日フィリピン人であり、二人とも日本語の日常会話には苦労しないというものの、日本の法律制度に対する知識に乏しい上、通訳の経験も乏しく、質問事項が複雑になると、その内容をなかなか理解できず、法廷通訳人の通訳を必要とする場面が多く見られたことなどの事情に照らすと、歸山刑事のタガログ語並びにレオ及びベラスケスの日本語能力はいずれも必ずしも高水準のものであったとはいい難い。

しかしながら、関係証拠によれば、被告人は、延べ約六年間日本において生活し、日本人の夫と婚姻し、夫やその両親との会話や買い物の際はもっぱら日本語を用いて、特に支障なく生活していたことが認められる上、当裁判所の第七回ないし第九回公判で行われた被告人質問の際も、弁護人や検察官の質問に対し、通訳を介さずに直接日本語で答える場面が多くみられたことをも併せ考えると、被告人は、取調べ当時、法律用語等複雑な事項については別として、日常会話程度の日本語は相当程度理解するとともに、辿々しいながらも一応使いこなすに至っていたと認めてよいと思われる。また、被告人自身、公判廷において、竹中刑事の取調べにおいて作成された各調書の内容が、自分が乙川の財布を取るために乙川を押したというものであったことは分かっていたし、検察庁で弁解を聴かれた際や裁判所の勾留質問の調書にも、財布を取るためわざとぶつかった旨書かれていることは分かっていたと供述していること、歸山刑事及びベラスケスは、過って乙川に衝突した旨の否認供述が記載された四月二九日付け警察官調書(乙一二)及び四月二八日付け検察官調書(乙一七)においても通訳を行っているものであるが、右各調書については、弁護人は取調べについて全部あるいは概ね同意し、通訳内容について特に問題とせず、被告人もこの点について何ら述べていないことなどの事実を併せ考えると、前記の各通訳人のタガログ語及び日本語能力の水準並びに個々の通訳内容について弁護人が指摘する点を考慮しても、被告人の自白調書が、各通訳人の通訳が不正確であったために、被告人が事実を否認していたにもかかわらず、自白を内容とする調書が作成されたり、調書の内容を被告人が誤解して署名指印したというような事実は窺われないというべきである。

したがって、捜査段階の三人の通訳人の通訳能力が高いとは認められず、通訳を担当した者ですら、複雑な日本語のやりとりについては、これを理解して日本語で答弁することが困難であったことなどに照らすと、法律用語や複雑な日本語の場合に、被告人がこれを完全に理解して返答したか疑問が残るものの、通訳人らの不正確な通訳により被告人が調書の内容を理解できず、錯誤によって署名指印したとの弁護人の主張は採用できない。

4 結論

以上、検討してきたところによれば、被告人の捜査段階の自白調書には任意性がないとの弁護人の主張は採用できない。

五  自白の信用性について

そこで、次に、自白の信用性について検討するに、検察官は、被告人の捜査段階の自白が自己の意思に基づき自由に行われたものと認められる上、一郎に石を投げられ、これを避けようとして過ってぶつかってしまったという被告人の弁解は不自然、不合理であるし、被告人が太郎から自由になる金をもらえずブロン液を買うなどの金に困っていたこと、乙川と接触後の被告人の行動は被告人が乙川から財布を奪う意図で行動していたと考えてはじめて了解可能となるなどと主張して、自白調書は信用できるという。

1 自白の信用性の検討方法について

ところで、本件では、被告人が、任意同行を求められて南警察署に到着した後それほど時間が経たないうちに、「六〇歳以上にはなっている着物を着たおばあちゃんが右手に財布を持っていたことから、転ばせば抵抗できなくなりすぐに財布が取れると思い、体当たりをしておばあちゃんを転ばせ、おばあちゃんが放した財布を取り一郎と逃げた。」と自白しており、その後、四月二三日に犯行を否認するに至るまで、右自白が維持されており、この間自白の任意性が問題となるような取調べが行われたとは認められず、他方、犯行を否認する被告人の弁解はなるほどと直ちに納得できるような内容のものではないことからすると、被告人の自白の信用性が高いと見られないではない。しかし、被告人の弁解が不合理でその信用性が否定されることがあるからといって、そのことから、直ちにこれと対立する他の供述内容が逆に全面的に信用性を具有するに至ると考えることはできない。自白調書の信用性を検討する場合には、かかる被告人の供述態度から受ける全体的な印象に頼ることなく、自白と他の客観的な証拠や状況との整合性や供述の変遷の有無、供述が変遷した理由などを慎重に検討する必要があるのはいうまでもない。殊に、本件では、先に検討してきたとおり、被告人の自白調書を除くその余の証拠では、乙川の被った足に対する行為という被害の事実以外その態様は特定できない状況にあることからすると、犯罪の成否は、被告人の自白調書の信用性如何にかかっているといえるのであり、特にその必要性が高いというべきである。

2 被告人の弁解について

それらの点に留意した上で、前記の被告人の弁解の合理性について検討する。

検察官指摘のとおり、確かに、被告人の弁解は不合理な印象を受ける。すなわち、もともと本件が被告人の弁解するような出来事に過ぎないというのなら、たとえ被告人に乙川が転倒した拍子に骨折し一人では立ち上がれないという深刻な事態が発生しているとの認識がなくとも、とにかく一郎が持っていた財布を乙川に返さなくてはならないと考え、一郎を伴ってすぐに乙川の所に戻り財布を返すという行動をとってしかるべきである。この点、被告人は、ブロン液を買いたかった、乙川にはあとからお金を返すつもりだったというようなことを捜査段階で述べていたようであるが、他方では財布は捨ててしまったというのであり、被告人の弁解するところは不合理であって、通常人を念頭において考えた場合、納得できるものではない。また、被害直後に乙川を救助した一重は、日頃から自己の経営するアパートの前の道路の清掃に心掛け、事件のあった四月九日の早朝にも現場付近の道路を掃除しており、乙川を救助したときには、現場付近に石や木などが落ちていたような記憶はないと供述しているほか、乙川の検察官調書によれば、乙川は、転倒する少し前に後ろから歩いてきた一郎に「おばあちゃん。」と声を掛けられ、「いくつ。」と年を尋ねたところ、指を出して示したというのであり、このような行動をしていた一郎がそれから間もなく被告人に木を投げたり、石を投げたというのはやはり唐突な印象を免れず、また、被告人が四月二八日に検察官に弁解したような大きな木や石を投げられたというのであれば、乙川の方で何か気配を感じてもよいようにも思われるのであって、本当に一郎が被告人に石を投げるような行動をとったのか疑問がある。しかし、他方、一重は、乙川を救助した当時、現場に何か落ちていないか注意して見たわけではないが、石などが落ちてなかったように思うと供述しているに過ぎないし、乙川は、後方から被告人らが近づいてきた気配は感じていたようであるが、転倒した際に、一郎や被告人がどこにいたかについては供述していない。また、一郎は、警察官調書において「(石)を投げていない」と供述しているが、右の一郎の供述は、太郎の立会いの下での事情聴取に先立ち、警察官が、その立会いのない状態で、一郎に対し、確認した可能性が高く、その確認の際に警察官による誘導がなされたような事情はなかったか、それが後の事情聴取の際の供述に影響を及ぼしていないかなど、その信頼性を検証する術のない本件において、一郎の警察官調書に被告人に石を投げていないという部分やこれに沿う太郎の証言があるからといって一郎が石を投げた可能性が完全に否定されるという関係に立つものではないと解される。

ところで、本件においては、被告人の弁解の合理性を判断する資料としては、以上の乙川、一重、一郎及び太郎の供述のほかには、この点に関する被告人の公判供述がないため、被告人の捜査段階における供述調書しか存在しない。そして、検察官は、被告人の弁解を記載した調書によっても、一郎が石を投げてきたときの被告人・一郎・乙川の相互の位置関係がはっきりしないし、一郎が何故突然被告人に石を投げるような行動をとったか十分な説明がないとして、被告人の弁解を排斥する根拠としている。しかし、被告人の取り調べにあたった竹中刑事は、被告人の弁解は不合理で信用性に乏しいと判断して、四月九日の当初の被告人の否認供述についてはもとより、四月二三日以降の否認供述について調書を作らなかったのであり、四月二九日に中島刑事が録取した警察官調書は、被告人が乙川の後方から歩いてきて乙川と接触したことを認めた唯一の調書であるが、捜査官に被告人の弁解の真偽を確かめるためには関係者の位置関係を把握することが重要であるというような視点があったのであれば、それを確認して問答体にするなどして調書に記載して証拠化するとともに、それが不合理であれば更に被告人を追及し、真相の究明を尽くすべきであると思われるのに、右調書を見る限り、それをしていないのであって、それもせずに被告人の供述が曖昧であるとして、不利益に援用するのは公平に反するといわなければならない。また、被告人には黙秘権が保障されていることからすれば、被告人の弁解が舌足らずで分からない点があるとしても、そのことを被告人に不利益に斟酌することもできない。そうすると、乙川との接触時における一郎の位置や被告人の向きが確定できない本件において、例えば、被告人が、乙川の後方で、寄り道などをする一郎に早く来るよう声をかけるなどして後ろを振り向いているような時に、一郎が石を投げたような場合、これを避けようとして自分より前を歩いていた乙川と背中合わせにぶつかってしまうというようなことも絶対にあり得ないわけではないと考えられるし、被告人が乙川を救助することなく、通りかかったタクシーに乗ってブロン液を買いに行ってしまったことについても、被告人が当時かなりのブロン中毒に陥っており、手元にお金が入れば、自由になる金は僅かであるのにタクシーに乗ってまでして、急ぎこれを購入し濫用しており、四月九日には、午後にも、友人宅に子供を残してタクシーに乗ってブロン液を購入していることが窺われることなどを考えると、ブロン液を買いたくてたまらず、通りかかったタクシーに飛び乗ってしまったという被告人の弁解もあながち不合理と言いきることもできないように思われる。以上によれば、被告人の弁解には不合理な面が多いものの、これを完全に排斥することはできないというべきである。

3 自白調書の証明力について

そこで、更に、被告人の自白が、自白を除くその余の証拠では、乙川の足に対する行為以外には接触行為の態様を具体的に特定できていないといった点を補って被告人が強盗致傷の行為を行ったと認めるに十分な証明力があるか否かについて、検討する。

(一) 自白調書の内容

ところで、被告人は、その自白調書において、暴行の態様について、「体当たりして転ばせた」「左肩で背中を押した」「押して倒した」というように、必ずしも同じ態様の暴行を意味しているかはっきりしないものの、おばあちゃんが手に財布を持っていたので転ばせれば財布が取れると思って行動したという点では一貫した供述をしており、四月一六日に録取された二通の自白調書(乙七、八)によれば、被告人が、具体的に犯行を決意し、実行した際の状況について、以下のとおり供述している。

すなわち、乙七号証によれば、「おばあちゃんを最初に見た後、おばあちゃんと対面して一〇メートル位近づいた時に、財布を持っていることが分かった。おばあちゃんは、年齢は七〇歳位、小柄でやせ型、下駄を履いてゆっくりと歩いていた。財布を持っているのを見て、欲しいと思い、周囲を見ると誰も歩いている人がいなかったので、財布を取ることを決めた。おばあちゃんは着物を着て下駄を履いていたし、後ろから押せばすぐに転ぶだろう、転べば持っている財布を手から放すだろう、転べば抵抗はできないだろうと思った。財布をひったくるということは思わなかった。抵抗できないように押し倒して転ばして財布を取るという強盗をした。私はその時三〇〇円くらいの現金しか持ってなく、現金が欲しくて強盗をした。」というのであり、乙八号証によれば、「一郎と自宅に帰るため藻岩小学校の裏側の道路の所を右折した。右折した時には一郎の方が先に歩いていたが、すぐにほぼ並んで歩くようになった。向かい側からおばあちゃんが歩いてきて、一〇ないし一五メートルくらいの距離になったときに、右手に財布を持っていることが分かった。財布を見たとき、ドキッとして、すぐに取りたいと思った。持っている現金が少なく、現金がすぐにでも欲しかったし、年寄りのおばあちゃんだったので何とかすれば簡単に現金が取れると思った。おばあちゃんが着物を着て下駄を履いており、歩き方もゆっくりと、少しヨタヨタした感じで歩いていたので、後ろから押してやろうと思った。おばあちゃんに近づき、おばあちゃんの前を通っておばあちゃんの左側を通り過ぎてすぐに、振り向きざまに左肩でおばあちゃんの背中を後ろから押した。押した力はそれほど強いものではなくて、押すとおばあちゃんはバランスを崩してつまずくようにして膝から崩れ、左半身になるようにして左膝から転んだ。おばあちゃんは転ぶと同時に持っていた財布を放した。がま口の蓋が開き中から一〇〇円硬貨等七枚くらいが出た。私が財布を取ろうとしたら、私のすぐ側にいた一郎が財布だけを拾って走りだした。私は突然一郎が財布を拾い上げて取ったのでびっくりしたが、財布から出た小銭を全部拾い、一郎の後を追って早歩きで自宅の方へと向かって言った。その時おばあちゃんは何も言っておらず、道路に背中から倒れて起き上がろうとしていた。私はおばあちゃんを助けてあげたり声をかけたりは全くしないでその場を離れた。逮捕された時に財布を私が拾って逃げたと話したが、それは私の思い違いで、私が拾おうとしたら、一郎が拾って逃げたというのが正しいので訂正して欲しい。偶然一郎の足元に財布が落ちたので一郎が拾った。その後、私が一郎に財布頂戴と言って財布の中の残りの現金を取り上げた。」というのである。

(二) 本件における自白調書の特徴

(1) 自白内容の抽象性

被告人は、四月九日から自白を撤回した二三日までの間、弁解録取書を含め、警察において合計一一通の調書を取られているが、そのうち身上関係等を除く犯行を自認したとされる九通の自白調書を通覧すると、犯行を決意するに至った経緯や犯行状況について、ようやく前記四月一六日の乙七、八の調書になって具体的な記述が見られるものの、その他の自白調書は、「おばあちゃんが財布を手に持っていたので、転ばせれば簡単に財布が取れると考えた」という強盗の故意があったことを裏付ける供述が目立ち、被告人が具体的にいつ犯意を形成し、どのように行動したか、その際一郎の行動や乙川との位置関係などの記述は乏しく、これを資料として被告人の犯行の具体的状況を把握するのは困難であるというほかはない。

なお、被告人は、任意同行後短時間で自白を始めたものであり、このことから、自白の信用性は高いと考えることもできる。しかし、被告人は、事実を認め謝れば警察に許してもらえるというこれまでの経験から、本件においても安易に自白した可能性もあり、これは、被告人が、公判廷において、四月一九日に成田弁護人の説明を聞いて初めて、本件が重い罪であると認識し、驚いた旨供述していることからも窺われ、一刻も早く解放されたいという思いから自白をした疑いも払拭できない。

(2) 自白内容と他の客観的証拠との符合性(真実性)

<1> 右の調書を含む自白調書によれば、被告人は、ほぼ一貫して、乙川と対面して歩いてきたと供述しているところ、前に見たとおり、これが真実でないことは明らかである。そして、右の点は、被告人が本件直後にブロン液を買いに行ったことを隠そうとして意識的に嘘を述べたことではあるが、そうであるとしても、真実は被告人が乙川の背後から近付いている以上、対面して歩いてきたという点を捨象して自白調書に記載されたと同じ暴行があったというためには、他の確実な証拠等具体的で信用できる根拠が必要と思われ、本件においてはそれがあるとまでは認められない。のみならず、自白を除くその余の証拠によれば、すでに見たように、乙川の足に対する行為以上のものを認定するには問題があるから、自白調書にいう前記の暴行は、それ自体一貫しているか否かを問わず、結局、断定できるだけのものがないというほかはない。

<2> 自白調書に記載された暴行の態様は、前記のとおりであるが、被告人は、捜査官の乙川の下駄を踏んだという供述を受けた追及に対しても、これを否定し、自白調書上でもこの点は全く供述しておらず、言及された形跡すらない。これは、自白を除くその余の証拠から認定される事実について、自白がそれを裏付けるものとなっていないことを意味するし、過ってぶつかってしまったという被告人の弁解の可能性を窺わせている。

<3> 同様に、自白調書によれば、被告人は、乙川が手に財布を持っているのを見て、犯行を決意したというのであるが、乙川の被害直後の警察官調書によれば、乙川は、後の供述で手に持っていたかもしれないとは言うものの、前掛けのポケットに財布を入れていたというのであって、いかに財布がポケットの上にはみ出る大きさであったとしても、自宅から道路に出てきて同一方向に進行した乙川を後方から見た被告人が、その際の乙川との距離すら証拠上必ずしも明らかとはいえない本件において、自白調書にあるように、被告人がそれを見て犯行を決意したとまでは断定できないし、本件当時、被告人がいかに現金が欲しかったとはいえ、ただ闇雲に通行中の老婆を襲ったと考えることは一層困難である。

(3) 自白調書における暴行行為の不自然性

自白調書に記載された暴行の態様は、前記のとおりであるが、被告人が、乙川の背後から財布を取るために押し倒すなどの行為に出たのだとすると、「体当たり」「左肩で押す」「押す」などの態様は、それ自体ありえないものではないとしても、通常は手を使って押すのが普通と考えられ、そうしなかったことについて、いかに対面してきたことを信じていたからといって、説明がないのは不自然であるし、少なくとも捜査が不十分という謗りは免れない。

(4) 自白調書における供述の変遷

路上に落ちた財布を拾った人物について、被告人は、自白調書において、当初被告人であると述べ、その後一郎であると述べ、また、財布が落ちたときに口が開いて小銭が散らばってしまい、一郎が財布を持っていってしまったので、自分は小銭を拾い集めて持っていったと述べ、さらに、これに伴って財布を捨てたときの状況について、自分でも捨てたと述べたかと思えば、現金だけ取って財布は終始一郎が持っていて一郎が捨てたと述べるなど、変遷が著しい。これらは、通常ならば、被告人がその刑責を軽減するために供述を変遷させたと見ることができようが、竹中は、任意同行直後の取調べで、被告人が財布は一郎が持っていった旨弁解していたというのであり、自白調書を子細に検討し、あるいは、通訳人の通訳能力も十分でなかったことを考えると、そう断定するのもためらわれるところである。

(三) まとめ

以上を総合して考えると、自白調書は、その内容が抽象的で、真実性に欠け、不自然であるなど、直ちにその供述するような経緯及び態様の暴行がなされたとは断定できず、信用性に乏しいと評価するほかない。本件捜査において、自白の真偽を検討し、その裏付けを取るという地道な捜査を遂行するという点において十分でなく、その結果、被告人の弁解についても十分に検討されず、その余地を残すこととなり、また、自白にいう犯行態様を具体的に特定し、裏付けることができないまま、結局、「おばあちゃんを転ばして財布を取るつもりでぶつかった」という強盗の故意部分のみが一人歩きする自白調書となってしまっているように思われる。

すでに見たとおり、本件においては、被告人が乙川と接触したことは明らかであり、また、その直後、乙川の財布が少なくともその在中の現金が被告人の手に入ったことも明らかであって、弁解は、これを完全に排斥できないとしても、その可能性は低い。弁解が成り立たない場合、被告人がどうして前を歩いていた乙川と接触するまで近付いたのかを考えると、検察官が指摘するとおり、被告人が、金銭に窮し、老人などを狙って窃盗をしていたことや、被告人が本件現場にほど近いところで乙川の財布に入っていた現金を取得し、タクシーに乗ってブロン液を買いに行っていることからすると、被告人がいずれかの時点で、乙川の財布を認識し、これを取るため乙川に接近していったと考えるのが普通である。そうすると、被告人が自白調書で述べるとおり、乙川を転ばせてその隙に財布を取る意図で行動していた可能性も相当程度あるように思われる。

しかし、前に検討したとおり、本件においては、被告人の弁解を完全には排斥できず、また、自白調書を除くその余の証拠によっては、足に対する行為以上の接触の態様が特定できない上、自白調書によっても、結局、その具体的な行為の態様を特定できないのであるから、被告人と乙川とが接触し、乙川が転倒した事実は認められるものの、乙川の下駄を踏むなどの足に対する行為が、被告人の意図した行為であったとは到底認定できないばかりか、接触が「乙川を転ばせる」意図で行われた、乙川を転倒させるに足りる威力を持つものであったこともまた認定することができない。結局、自白調書中の「おばあちゃんを転ばして財布を取るつもりでぶつかった」という故意の部分については、被告人の具体的な行為に裏打ちされているとは認められないのであって、これを直ちに信用することはできないというべきである。

六  結語

以上、検討してきたところによれば、結局、本件では、被告人が乙川を転倒させて財布を強取する意図で接触したと認めるにはなお合理的な疑いが残るというべきである。また、同じ理由から、乙川に接触して結果的に乙川に傷害を負わせている点についても傷害罪に問議することはできないと解される。

しかし、他方、被告人の弁解するところによったとしても、被告人は、乙川が転倒した結果その手から離れ路上に落ちた財布を拾い走って逃げる一郎を追い掛け、本件現場から一〇〇メートルないし一二〇メートルほどしか離れていない札幌市南区川沿<番地略>所在のむらかみ商店前路上において一郎に追いついたというのであるから、この時点で一郎から財布を取り上げ乙川に返還することは容易であったもので、右時点では、財布及び在中の現金は、未だ乙川の占有下にあったものと評価できる上、被告人は、一郎に追いついた後、その財布及び在中の現金が乙川の所有するものであることを十分に承知しながら、一郎から現金を取り上げ、財布は一郎に持たせたまま、共にタクシーに乗って同市同区川沿一条五丁目のオヤマダ薬局に向かい、同所でブロン液を購入し、その後、同日午後には一郎に指示して財布を投棄させたというのであるから、右の一郎から現金を取り上げた時点において、現金はもとより財布についても、被告人が、乙川の占有するこれらの物を奪取したものと評価できる。したがって、被告人については、判示のとおり窃盗罪が成立すると解するのが相当である。

したがって、被告人について、本件公訴事実記載の強盗致傷の罪を犯したと認めるに足りる証拠はないが、他方、被告人が無罪であるという弁護人の主張も採用できず、判示のとおり認定した次第である。

第二  判示第一、第二の事実(窃盗)について

弁護人は、判示第二の事実について、窃取した現金は約二万円ではなく、約一万四〇〇〇円であると主張し、被告人もこれに沿う供述をする。しかし、本件被害者である甲野花子は、被害直後から一貫して、盗まれた財布の中には現金二万円くらいが入っていた旨をその内訳や記憶の根拠と共に具体的かつ明確な供述しているものであり、右供述は十分信用できるものであるのに対し、被告人の右供述は、その根拠についても何ら述べない曖昧なもので到底信用できない。したがって、弁護人の主張は採用できない。

また、弁護人は、判示第一、第二の事実にかかる被告人の検察官調書(乙二〇)及び警察官調書二通(乙一八、一九)につき、当初の四月九日の任意同行及び逮捕手続の違法をそのまま引き継いでいる以上、違法収集証拠として、証拠排除されるべきであると主張する。しかし、四月九日の任意同行及びそれに引き続く逮捕手続に何らの違法は認められないことは前記のとおりであり、右各調書が違法収集証拠に当たらないことは明らかである。さらに、弁護人は、被告人が連続して犯行を行っている旨の供述部分や金員の使途に関する一部分については、警察官の作文であり、任意性及び信用性を欠くとも主張するが、関係証拠によっても、右各調書の不同意部分について、任意性及び信用性に疑いを抱かしめるような事情は何ら窺われない。よって、弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)

罰条 いずれも刑法二三五条

併合罪の加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い第二の罪の刑に法定の加重)

未決勾留日数の算入 刑法二一条

執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

[検察官畔柳章裕、弁護人秀嶋ゆかり(主任・国選)、同成田教子(国選)各出席]

[求刑―懲役七年]

(裁判長裁判官 長島孝太郎 裁判官 鈴木桂子 裁判官 古谷慎吾)

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